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四十男の死生観

死ぬことを怖いと思うことはない。

事故とか、犯罪とか、自◯とかで死ぬのは嫌やけど、そうでない自然死というのか、そういった死であれば、ボクは特に死にたくないとか思わないし、生にしがみつきたいとかも思っていない。

勘違いする人がいるだろけど、生きたくないとか思ってるわけじゃない。むしろ、1日でもこの幸せな日を生き永らえたいと思っているし、明日死んでもいいとか思ってるわけでもない。

ただ、ふと訪れるであろう死に対して、恐怖することはないと思っているだけだ。

死だけが人に平等に与えられたものだし、そこに恐怖すると、生き方を間違えそうな気がする。

だから、ボクは、死を誰かに告げて欲しいとも思わないし、たくさんの人に涙して欲しいとかもない。死んだら森に遺棄されても良い。自然のまま自然に還るんだから、何も悪くない。

ただ、大切な人の隣で死ねたらいいな。とこれだけしか望みはない。

かつては、死期を悟った動物のように、一人で孤独に野垂れ死ぬつもりもあったけれど、今はそれは望まない。

生きることに喜びを感じられるからだと思う。

でも、生に執着はしていないし、死に急いでるわけでもない。

ボクにとっては、周りの誰が死んでも自然な事象が起こったに過ぎないと思う。

悲しむとか寂しいとかそんなことはその時にならないと分からないけれど、死んで欲しくないなんて、神のみぞ知ることに厚かましい願望を持ちたくない。

この考え方が冷たいなんて思えない。誰も死後の世界を知らないから、生者に都合よく解釈してるだけの感情で一括りにしないで欲しいと思う。

死んだ後の方が幸せやったらどうする?

それを都合よい解釈で、同じ解釈でない人をあしらうのは、傲慢だとボクは思う。

やがてあなたも死ぬし、ボクも死ぬ。

それだけの話だ。

それが今日なのか明日なのかは分からないだけ。

あぁ、ただやっぱり順番はある程度守って欲しいって願望はあるよね。

子どもたちが子どものまま若くして亡くなるのだけは、どこの子どもであっても嫌だ。

生物の使命は遺伝子の継続だし、人間はある程度までお世話しないと一人前にはなれないから、大人になり、責務を果たしてから死ぬってことだけは、願う。

その上で、ボクは死を受容しているんだと思っている。

では、逆に生はどうだろう?

みんなやがて死ぬから、生において関わる人は、今のボクが心地よい人だけで良いと思って生きているかな。

それと、生を受けたことへの感謝。これだけは忘れないで生きている。

遺伝子を託されたわけやしね。託しもしたけれど。

託されたからには、死を受容していても、ボクは自分の生の物語を全うしようと思う。

昨日の話やないけれど、食事もお金も仕事も恋愛も全部に困らない人生として、残りの40年ばかしを全うする。

その為に、女神ちゃんだけは手に入れる。ここだけはえらく執着してやろうと思う。

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