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ダスティン・ホフマン

ゆずのダスティン・ホフマンって曲がある。

その歌詞の中に「結婚って一体なんだろう?紙切れ一枚の話だけど」ってのがある。

確かにそうだ。法的に言えば紙切れ一枚で結婚したことになる。

結婚すれば、ずっと一緒にいられるとか、子どもを育てられるとか、資金面で安定するとか、精神的に支えられるとか、親を安心させられるとか、社会的信用を得られるとか、法的に配偶者として扱われるとか、色々と定義というか、結婚する意味みたいなものを見出されてるようだけど、法的云々以外は結婚しなくても実現できなくないか?

結婚しなければ一緒にいてはいけないわけではない。

子どもは少し別の問題だから、ここでは考えない。

資金面も夫婦でなければ安定しないとかって訳じゃないし、夫婦になっても国から援助がある訳ではないから、安定は個々人次第でしかない。

精神的に支えられるってのは、これも同棲すれば解決されそうだ。

親とか社会とかそんなものはどうでもいい。

このご時世、世間体を気にしてどうする。

となると、同棲の正当性を担保する手段の一つが結婚と考えることができるのか?

だったら内縁じゃあかんのか?

でも、内縁やと配偶者として扱われないという問題は出てくる。

ってことは、結婚という手段は配偶者としてのさまざまな特権のためにしたら良いのであって、そこを必要としなければ内縁でもいいし、恋人でもいいと言える。

そもそも、彼氏彼女とか夫妻ってなると、その肩書きに引っ張られて、役割を演じなければいけないような気がしてしまう。

これは自分だけの話ではない。

相手にも求めてしまうところが問題なんだと思う。

夫らしく、妻らしく、彼氏らしく、彼女らしくと、相手にその体裁を守らせようとするから、歪みが生まれたりもする。

呼称や肩書きに引っ張られることなく、相手にもそれを求めることなくいられる関係に居心地の良さを感じるのは確か。

夫婦や彼氏彼女に準じるような関係性は悪くはない。

悪くないと思うのは、それは枠組みから外れることで、精神的な自由を感じられるからであり、枠の外やから相手に多くを求めてもエゴになると自分に言い聞かせられるからだと思う。

つまり、精神面においては枠の外にいる関係が解放的であり、束縛を感じず、エゴも感じずにいられるから、そこを望むわけだ。

だったら、やっぱり、結婚は配偶者であることの特権以外にメリットはないのか?

一つだけ考えられる。

それは、立場が人を作るという概念にも似ているんだろうけど、結婚し、夫婦となることで、大義名分を得られる故に、想いがより強固になるのではないか?というものだ。

ただ、やはりこの想いが関係に引っ張られるリスクはある。そうなると、本末転倒。

ようは、ボク自身がそのようなリスクを突っぱねるだけの男なのであれば、何の問題もないわけだ。いや、お互いにか。

そうであると仮定すれば、ボクなりに考える結婚の定義は、「永遠なる相互扶助を心から誓い合えるだけの想いを「より強く」実現する手段」だと言える。

想いの実現だけでなく、配偶者となることで法的メリットを得られるわけだから、結婚に価値があるとも考えられる。

ちなみに、相互扶助ってのは、心身的支え合い。悲しみを分け合い、喜びを分かち合いってこと。

そこに行くまでに、今のボクに必要な次のステップは、自分の意思を素直に伝え続けることかな。勝手に気を使うってクセを超えて、自分を出すことの怖さを乗り越えないといけない。

感情も思考も出して伝えないと、アンドロイドでしかないもんな。

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