1. 思考
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こんなボクでさえ誰かのためになりたいと思えるし、誰かのためになれる存在になれるかも知れない時代

地に足着いてない。

そんな言葉は耳にタコができるくらい聞いてきた。

今でもそうだし、きっとこの先、死ぬまでそうだろうから今となっては笑える。

ボクは、その他大勢が思う「地に足を着けた生き方」なんてできない。そもそも出来る人なら、こんな人生歩んでない。

だからと言って、別に不安定を望んでるわけではないし、そこを否定してるわけでもない。ボクだって一か八かな生き方をしたいわけじゃない。

ただ、自分が「生きたい」と思う色んな生き方を試しながら、どれかが誰かのためになればいいと思っているだけだ。

ワガママを通すだけで生きられるほど甘くないことは承知。だから、ボクのワガママと世間の欲望が合致する場所を手当たり次第探っている。

誰かのために生きなければ、この世の中を生き抜くことが難しいのならば、そこを合わせてでも、自分のやりたいことで生きたいことの重なる点を探すしかないだろう。

なにせボクはいつもフワフワしてるのだから。

フワフワしてるから、ボクはいつでもどこにでも行けるし、自由だと思っている。この自由があるなら、それだけでいい。

いや、自由と女神ちゃんの天秤は後者よりだから、女神ちゃんが望む自由の範囲ではあるか。

サラリーマンにはなれないけれど、生き方のためにバイトするならできる。

今まで、本当に生きたいカタチなんてハッキリとは描けてなかった。誰かの期待のため、家族のためなんて、ボク一人では背負いキレないようなモノを背負っても、誰一人幸せにはできない。

正直、ボクは自分の子どもさえ「父親」を演じているときには幸せにできなかった。

今は離婚して距離ができた分、父親として子どもたちには存分な楽しみを与えようとしているけれど、共に生活をしている時はできなかった。生きること、生かすことに必死だった。

それくらいには不器用だし、不適合だと思っている。

だからと言っても、生きている。

生きているし、生きていて欲しいと願う人がいるのだから、生きて良いんだとも思える。

だったら、生きたいように生きてもいいだろう。

別にボクは自分の命と天秤にかけてくれと言ってるわけじゃない。ボクにとっては自分の命なんて役目は終わっている。

ただ、ボクが生きたいかどうかだけの話だ。

そして、今は生きたいと思えている。

かと言って、生きたくなくなっても、死ぬことはない。それは2019年に証明できたしねw

誰かのために生きれるし、生きるなら、生きたい生き方をしたいじゃないか。

純粋にただそれだけだ。

だから、ボクの中で進化したやりたいことを9月から始めよう。

些細ながら、ボクさえも誰かのために力になれるかも知れない。

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