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感覚の違い

コロナ禍がもたらした変革の意識が、一時的と思っている人たちが多い気がする。

例えば、弟と電話してた時に「いつ帰ってくんの?」と聞かれた。ボクの答えは「帰る理由ないし、帰らんよ」だ。これは一貫してそうとしか答えない。

「いや、お盆は帰るもんやろ?」と言われたが、お盆にはお墓参りに行けばいいだけであって、実家に帰る意味はない。幼少の頃、祖母の家に帰ってた時、確かに親戚一堂が介していたが、あれもあの晩になんかよく分からんけれど、外に出てお線香とお経をあげていたし、その日に墓参りも行ってたかも知れないから、100歩譲って、それはお盆の意味があると思う。

『実家に帰る』こと事態に意味があるわけではない。そもそもお盆自体が今では、実家に帰るための口実だろ。地方から都会に出て働く人たちに田舎に帰る口実として、風習を掛け合わせただけじゃないのか?とボクは思う。

とにかく、お盆だから帰省するというのは意味としても関係ないし、強制力もない。親に会いたければお盆でなくても帰るだろ?

そして、今は顔を見て話すだけなら会いに行く必要はない。

お盆の話をして少し話がそれたけれど、弟が言うのは「会って話がしたい」ということだ。

それ、zoomかFaceTimeでよくない?ってか、2人ならそれで事足りる。

会わなければできない話なら、そもそも電話ですることがおかしい。

確かに会うことでしか伝わらない何かはあるかも知れない。例えば、恋人同士なら触れ合いたいだろうし、孫にも触れたいかも知れないが、それなら触れたいもの同士で解決策を考えて提示しようじゃないか。

話がそれてしまうから、戻そう。

ボクが言いたいのは、話すだけならなんぼでも方法あるよね?ってことだ。

そして、それはコロナ禍以前と今では価値観が圧倒的に変わったのだから、なぜ受け入れていないのか?ってことだ。

会って話す方が!って意見は分かる。

でも、会わなければいけないなら、自分が時間もお金も犠牲にしてでも会いに行けばいい。それをしないなら、それだけの話なら、いくらでも会わずにできませんか?ってことだ。

これは会話だけのことではない。

この一年半で、コミュニケーションの在り方が変わったし、それを受け入れられるだけのプラットホームと姿勢がボクら側にできてないと、時代には取り残されるよ?って話なのだ。

ボクが子どもと月一で面会をしていて、毎度毎度彦根〜岡崎間を送迎してるのは、そのコミュニケーションでは埋められない大切なものがあるから、自分を犠牲にしてでも会うことを優先してるだけであって、メールやテレビ電話で済むことなら、わざわざ命をかけてまで送迎しない。

ボクの価値観は、時間=生命だ。

だから、わざわざ岡崎くんだりまで来てくれるクライアントには時間も割くし、出し惜しみもしない。もてる全ての知識と情熱でコンサルする。

当たり前だ。

だけど、実際にはそれすらもzoomで事足りる。空気感は違っても、全力で仕事できる環境が今は整っている。

そこに違和感を覚えるのも仕方ないとは思うけれど、ハッキリ言うと、移動時間ほどムダなこともない。その間、相手も待たせるかも知れないのだから、そこまで考えて行動しているのか?と。

だから、ボクは思う。

簡単に会えない場所に行かなければ、ボクの価値や価値観を分からないんじゃないかと。

簡単に電話をかけてきたり、相談してくる人たちがいるけれど、本当はそれって全部ボクの生命を削ってる。

今日も(と言うか毎月だけど)自分の都合で電話をかけてきた税理士事務所のクライアントがいて、ボクは運転中で子どもたちもいたので、電話にでなかった。

駐車場に停めたらかけ直そうと思っていたら、しばらくして、父親から電話。「あ、これはクライアントからオヤジに電話して、ボクが電話に出ないとかって言うたんだな」と察したので、父の電話に出て「かけ直すつもりやから心配いらん」と伝えた。

そして、クライアントにかけ直すと開口一番「何度もかけたのに出なかった」と言われた。いやいや、そもそも電話は一回しか掛かってないし、こっちの都合も考えずに、自分の「今」が緊急事態であることだけを優先して、それを解決できないイライラがボクのせいと言わんばかりに、その感情をボクにぶつけてくるその神経はなんなのか?と苛立った。

しかも、同じ内容のことで何回ボクに電話しているのか?覚えられない己をまず謝るべきではないのか?とさえ思うけれども、、、

優しさだけでボクはそれを受け入れている。

本当にこんな人もいるのだ。

だから、せめて、このブログを読まれているかたには、アフターコロナの未来もウィズコロナの今も、確立されたテクノロジーを駆使して欲しいし、それを受け入れられる人物であって欲しいと思う。

そもそも、クライアントの場合は、ググれば解決するのだ。そこに巻き込むのなら、お金くれと言いたいよ。ほんとに。

ボクの生命を削るだけでなく、生きてるってことはあなたの生命も削ってるってことを深く理解して欲しい。

お互いに命を削りあって生きているのだから、相手を大切に思わない言動は不愉快だろう。

ちなみに、ボクと弟との電話は仕事の話だったんだけれど、そこでボクは間接的にだけど、彼に大切なことを伝えた。

それを今、しっかりと言葉にしておくが、、、

兄弟やから甘えるのもいいし、内容次第では損してでも、つまりボクの生命を削ってでも力になるけれど、お前が目指す場所が経営者なら、自分の未来の時間と未来の労力を犠牲にせずに人を動かすなんてことは図々しいにも程がある。

そのことをしっかりと理解しなければ、自分は楽したいって魂胆で動かそうとしているようにしか見えない。その甘えは見透かされる。本人が無意識であっても、人にはそのように評価される。

隠しても努力の結果は人に見えるのだから、その上ではじめて人は動かされるのだから、それを誰に対しても出来なければ、経営者にはなれない。

ボクは、これが出来ないのはサラリーマン根性やと思っている。これは守られている中で慕われる人と、守りながら慕われる人の違いだ。

自分が犠牲になってはじめて本当の意味で人はついてくる。

だからこそ、今の時代に最優先される価値観、時間を、相手と自分の生命であると認識して、最善の選択をしなければならないし、古い価値観に縛られていてはいけない。

先ほども言ったが、相対することが古いと言ってるわけではない。そこには明らかに大切な何かはある。だけど、それを他人に委ねてはならない。求めてはならない。テクノロジーでカバーできるからこそ、己を犠牲にすることが先だ。

そんなことを弟に伝えるていで、ボク自身に言い聞かせておこう。

まずは、自己犠牲。その上で、相手の感情ははじめて動くのだ。

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