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闇から夏の希望へ

自分の抱える様々な闇に迫るシリーズが、自問自答なわけですが、どうもボクの多くの闇は幼少期に歪んでしまった「愛情を求める幼子」のボクに起因している模様だということがよくよく分かってきた。

例えば、言葉にするのもはばかられるけれども、ボクは人を見下すことがある。ここは敢えて「ある」と書くけれども、そう、事実そういった場面は何度もあった。

そんなやつきらいやわぁ。と思われる方も多いと思うので、言いたくはないんだけれど、そういう自分とも向き合っていくのが自問自答なんだから、赤裸々に語るぞ。

実際、この辺りの経緯などは過去の記事も書いたしね。だから、詳細は語らないけれど、まぁ、ボクはそういう自分も知っている。

だけど、ボクが思っているボクって人間は、そんなやつではない。

他にも、ボクは自分の存在を否定していたという自分も知っている。

もちろん既出なんだけど、これも幼少期から聞いていた母やその周りの人たちからの何気ない言葉から、ボクは自分を否定していたという事実に気付いた。

だけど、ボクが思っているボクって人間は、そんなやつではない。

次も既出。

ボクは、1歳5ヶ月から「ガマン」ということを知った。

そして、それに合わせて大人の喜ぶ自分でいることで、自分が認められることも知った。

だけど、ボクが思っているボクって人間は、そんなやつではない。

これだけでも掘り返してみれば、ボクが歪んでることは詳細を語らずとも感じてもらえるんじゃないだろうかと思うんだけれど、どうだろうか。

まぁ、詳細は既出の記事を探してもらうとして、ボクの歪んでいる元凶は、「母と子」という関係にある。
うちの母親は、これまた複雑な環境で育っているので、彼女自身が歪んでしまったことは仕方ないし、それを歪んでいると表現するしかないボクの事情も察してもらうしかないのだけれど、ハッキリ言っておくが、母を知る人間で彼女を歪んでいると言うのは、ボク以外にはいないだろう。

それほど全うと言える母親にも関わらず、ボクは断言する。彼女の愛は歪んでいる。というか拗らせてしまっているし、拗らせるのも仕方ないと思っている。

だけど、養護はしない。

なぜなら、ボクの価値観に一切そぐわないからだ。
ちなみに、この価値観の範囲で言えば、父親も該当する。

今日の記事の前置きは長くなるけれど、ここでボクの価値観を1つ紹介しておく。
ただし、この価値観というのは、ボクの希望とか夢とかそういうこととは一切関係ないから、ストレングス・ファインダーでも見つからないし、世界一やさしいやりたいことの見つけ方でも見つからない。

ボクが根本的に大事にしている価値観とは、より生物的なものだ。端的に言う。

「生き物は、遺伝子を紡ぐために生きている」

これがボクの中で決して揺るぐことのない、最も大切な価値観だ。

もちろん、人間であるということも踏まえて、子どもを一人前に育てること、その後も自分の人生を悔やむことのない人生とすることというのはあるが、そのどちらもこの価値観を満たしてはじめて為せるものだと考えている。

この価値観で言えば、親の愛情は一方通行以上を求めてはいけない。

つまり、子どもからの愛情を求めた時点で、生物としては不完全なのだ。

あくまでもこれはボクの価値観であり、あなたの価値観との相違は認めるが、異論は認めない。

なぜなら、「子どもを一人前に育てること」、「その後も自分の人生を悔やむことのない人生とすること」の2つもボクの価値観だからだ。

まず、生き物として、「子どもは一人前に育てること」に関しては、いずれの生物も行っている。ただし、昆虫や魚んのように多数の子ども産む場合は、勝手は違うと思う。だけど、それでも遺伝子の生存に重きを置いている作戦故にであると考えるならば、ボクは納得が行く。

そして、ボクは言う。

まずこの「子どもは一人前に育てること」に関して言えば、親はいずれかの時点で子どもを見限ることは必須だ。

いくら可愛い子だとは言え、やはりこの点は「一人前」という条件を満たすためには、外せない。

ライオンが千尋の谷に子を落とすと言われるように、その覚悟を親はしなければならない時がある。そこで手を差し伸べては、すべてが無に帰すと言えるだろう。

普通はできる。だけど、不幸か幸いかボクの両親はできなかった。これをありがたいことだというのは簡単だ。
事実、普通はできるところができずに、手を差し伸べているのだから、文字通り有り難い。

だが、それ故に子どもが一人前になれていないのだとしたら、それは本当に有り難いことなのではないだろうか?
親のエゴのために、子どもがその先の人生を苦悩するのだから、これは親として苦悩すべきことだろう。だから、生物として、文字の通り有り難いことなのだ。感謝の意味ではなく、あってはならないことなのだ。

つまり、「一人前に育てる」ことに失敗すれば、「自分の人生を悔やむことのない人生とすること」さえも失敗する可能性が高くなるから、到底認められる行為ではないと、ボクはそう思うのだ。

「いやいや、親が手を差し伸べてくれたお陰で、お前は生きてきたんだろ?」と思われる人もいると思うので、もう一度言うけれど、「その後も自分の人生を悔やむことのない人生とすること」を今のボクができておらず、それが親のせいだと気付いたのだ。これほどの親不孝、子不幸があるのか?

おいおい、悔やむのは自分のせいではないのか?

その質問に関しては、「そのとおり」だと思う。だったら、ボクが親のせいにしてるのはおかしい!と思われるだろう。そうだ。親のせいにして、親を責めるのはおかしい。

だから、ボクは親を責めたいわけではない。ボクの中で処理するために、つまりは、ボクの価値観にそぐわせるために、親を悪者にしてでも、ボクはこの先を後悔せずに生きる義務が、ボクにはあるのだ。だから、せめてブログの中だけで、自分を見つめ直し、全うに生きるために、ボクは敢えて自分の仮想敵に親を置いている。

いや、この際だから言うけれど、自分の親を、それも愛情をかけて育ててくれた自分の親を悪く思うことではじめて前に進めると気付いたボクの気持ちなど、誰に分かるというのだ?

自分を見つめ直すという行為は、これほどシビアなことだし、自分のこれまでの信念を書き換えなければいけないほどのことなのだ。場合によってはだけどね。

補足的に言っておくが、ボクを生んでくれたことに関しては、ボクはありがたいと思っている。
この世の酸いも甘いも体験しながら生きていけることは、本当に楽しいし、この親に対する試練さえも、楽しいのだから、感謝している。

だから、すべてはボクの中だけで思っていることでしかないし、それを他言する必要は本当はない。

だけど、ボクは自問自答を率先してやろうとしていて、それを全世界に対して公開することで、自問自答の価値を知って欲しいと思っているから、誰にどう思われようが、自分を晒していく。

その上で、ボクは両親が自分の価値観とそぐわないから、許さないと言っているのだ。

真剣に自分に向き合ったら、親を許せなくなることもある。

逆を言えば、そんな人はいないと思うけれど、ボクを非難する人がいたとしたら、その人は自分と真剣に向き合ったこともないし、その癖、何かしら言い訳をして生きている人だと思う。

これは、見下すとか以前の問題なので、見直す覚悟をしてから異論を言ってみよう。

さて、なんだかんだと横道にそれてしまったけれど、本題に戻ろう。

ボクが話したい「母と子」の話だ。

ようは、子を大事に思うが故にいつまでも子離れできない親を持つと、子どもは不幸になるよってこと。
親の庇護のもと、一人で生きている間はいいと思うが、家庭などの社会を持つと、ズレが生じる。これは経験談だが、ボク一人の検証でしかないから、間違いないとは言えないので、人によるのかも知れない。

ただ、親が干渉した人間関係で、子どもが幸せになることなど1つもないだろう。

ボクは、1歳5ヶ月で長男になってから、ガマンすることで生きてきた。

ガマンしていたのは、母の愛情だ。

本当は、ボクを一番に思って欲しい。一番愛して欲しいと思って育ってきた。
これは、実際に母がどう思っているとか関係ないことだ。
ボクが勝手にそう思って生きてきただけの話。だから、自分で解決もできるってことにも繋がる。

で、母の愛情を求めていたってのは、ボクの中では決着がついているので、どうでもいい。勝手に愛してくれる分にはそれでいいし、ボクがそこに愛情を求めることは微塵にもない。

だが、ボクは母の愛を彼女に求めるという歪んだ思想も育ててしまっていた。

つまり、母の愛を本当は独占したかったボクは、彼女の愛も独占したいと思ってしまうのだ。

これはなかなかシンドい。

これは、束縛とか執念とか不安を助長する。

この感情は、本当いらないと思う。恋人を信じられるのなら、マジで不要。

信じられるはずなのに、不安を感じると、不審になって、ジレンマを抱く。それが自分の中の問題やと認識できる人はいいんだけれど、相手のせいだと勘違いしてしまう場合は、最悪事件にも発展してしまう。

だから、ようするにマザコン病を患っていることを自覚したのであれば、そこの自分と徹底的に向き合って、自分の弱さを克服しなければ、本当に大切な人さえリアルに傷付けてしまう可能性がある。

しかも、しかもだ。

彼女の愛を独占したいと願いつつも、その彼女さえも母の愛の中にいて欲しいと思ってしまう。

どういうことか?

これも過去の記事に書いているけど、ようは彼女も親に認められてはじめて彼女と幸せになれると考えている。

なんで?とおぞましさを感じるが、これは自分でも気付いていなかったボクの中にいる人がそうだったのだ。

このマザコン病のボクは、普段は存在を感じないし、顔を見せない。
だけど、ふとした言動の中に紛れ込んでいる。
まるで毒を薄めて呑ませるかのような手法で、相手を苦しめる。

だから、ボクは無意識だし、無自覚のまま。

こんな不幸なことあるんかよ!!って嘆いてしまう。

ただ、そういう自分に少しずつでも気付き、その度にこうして向き合ってきたお陰もあって、ようやく葬りされるとこまで追い詰めた。

自分の中の自分を葬り去るという行為は、ツラいのかも知れない。

そこには、過去があるからだ。

だけど、ボクは消え去る過去、滅びゆく過去と生きるつもりはない。

これからの未来を、前を向いて、大切な人と共に生きたい。子どもたちのように、未来に向けて共に生きたい。

過去と共に朽ちるなんてくだらない人生だけはごめんだ。

で、勝手だけど、ボクは自分の中で許せないことを許すつもりはない。二度とごめんだ。

さて、ではこれから未来の希望たちと共に、カブトムシでも探しに行ってくる。

夏休みやね。

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