1. 思考
  2. 17 view

プライドを捨てたらどうだろうか?

自分が自分であることの誇りってのを大事にすることは、スゴいことだと思う。

でも、プライドって誇りとは同じ意味として訳されるけど、ちょっと違うと思わないだろうか?

なんか誇りってのは、自分で勝手に思っておけばいいことで、それが自分の自信になったりするものやから、傷付けられるようなものではないと思うし、傷付くようなものでもないと思う。

例えば、ボクはギターを14歳から続けているから、かれこれ25年もやってるわけで、これは誇りなのよ。

でも、ボクより上手い人はいっぱいいるし、ボクは上手いと自分で思ってるけど、別に他者と比べて上手いと思ってるわけじゃないんよね。単に自惚れたいだけ。

だから、別に「オレの方が上手いぞ!?」って目の前で弾かれたら「ほんまですね」って素直に思える。もちろん、上手かったらの話。

よって、それをどう評価されてもボクの誇りは揺るがない。

でも、プライドを持ってギター弾いてるってなったらどうだろうか?

ボクの場合やと、きっと「オレの方が上手いぞ!?」って言われただけで感情が揺れ動くと思う。
良くも悪くもね。

そう、なんかプライドって言葉は、見栄とか虚栄とか承認欲求とか、、、自分を飾るためのもののようなイメージを持ってしまう。←これはボクの解釈ね。

だから、プライドにすがりつくってのは、なんとなく脆さを感じる。

プライドを傷付けられたって感じたら、その相手を拒否したくなると思うんだけれど、あなたはどうだろう?

これって、自分を否定されたって感じるからじゃないだろうか?

でも、そのプライドって、あなたそのものなのだろうか?

ボクは違うと思う。

強固で揺るぎなくて崩れることのないプライドなら、それはあなたそのものだと思うけれど、他者からの評価で感情が揺れ動くようなものをプライドとして生きているのは、ツラいのではないだろうか?

ボクで言えばそうだな、、、

、、、

、、、

既に崩れ去ったプライドだけど、子どもの頃、祖父が事業を成功させてお金持ちだったから、幼心に自分の血筋にプライドを持っていた時期があった。
でも、それってボクには関係なくて、祖父がスゴいだけ。父が税理士なのも、父が努力家なだけ。ボクには関係ない。

にも関わらず、それが自分のステータスだと思っていた時期はあった。そのプライドって生きる上では全く必要なくて、それがあったお陰でボクは、人を見下してたわけだ。怖くない?自分に何の能力もないのに、人を見下せるってクズだと思うよ。我ながらw

そういう自分を捨てることができたのは、最近の話だ。

今思い出したけど、ボクは自分のプライドに気付いてから、他者に深々と頭を下げるようになった。
形から入って、自分のプライドを捨てようとしていったわけだ。

ただ、捨てるためには、もう一つ大事なことがあって、さっき書いたように、なんでプライドが高いのかってことを理解しなければならないし、そこはブログ内で自問自答することで、気付いたことでもある。

まぁ、それは良いんだけど、そうやってボクは見栄や虚栄や承認欲求のようなプライドを捨てたわけだ。

例えば、あなたは稼いでいることで自分にプライドを持っているかも知れない。
でも、「稼げていること」があなたでもないし、そこにプライドを持つのは危険だ。

あなたが稼げているのは、あなた自身の魅力が人に伝わっているからで、その魅力こそがあなたのプライドであるべきだとボクは思う。

ようは、外的要因やそれに付随する結果にプライドを持つより、自分にプライドを持つべきで、自分を誇りと思うべきじゃないかってことだ。

ボクは、自分がギターの練習に積み重ねてきた24年間に誇りを持っているのであって、ギターの上手さに誇りを感じているわけじゃないから、ギターの上手さにプライドを持っているわけでもない。24年間も続けてるオレスゴい!って思ってるだけだ。

ギターの上手さは外的要因により評価されるから、そこに見栄や虚栄や承認欲求という間違ったプライドを持つと、評価如何で感情が揺れ動くわけだ。

それよりも、自分が努力してきたってこと自体に誇りを持てれば、そのプライドが揺らぐことはないだろう。
これは、つまり結果よりプロセスってことなのか?いや、そのプロセスを実行している自分だな。

お、どうやら誇りを持てばプライドが揺らがないってことは、誇りってのは芯みたいなもので、プライドってのはガワになるのか。なるほど。←ボクの解釈ではね。

つまりこうだ。

誇りのないプライドは脆い。

そのプライドは、概ね外的要因やそれに付随する結果であることが多い。

そんなプライドは、評価により感情が揺さぶられるから、脆い。

よって、相手を拒否したくもなる。

でも、それってあなた自身を評価しているわけじゃないことだから、そこに評価基準を持つとツラい生き方になる。

だったら、そんなプライドを捨てて、誇りを持つことで生まれるプライドを持ちませんか?ってことだ。

そして、この誇りとは、あなた自身が持っている魅力や能力や個性であり、それは揺るぎないものだ。

この誇りを否定するやつは、人格否定していることになるので、そいつが心の狭いコモノってことに過ぎない。
あなたが相手にする時間さえもったいないってことだ。

何が言いたかったのかわからないけれど、ボクは自分に誇りを持って生きようと思っているんだろう。
そして、邪魔になるであろうこれまでのプライドを一つ一つ捨てて、誇りからのプライドを持とうと思っているんだろう。

自分に誇りを持つだけだから、今からでもできそうなもんだけど、そのためには、自分を好きにならないといけないだろうし、プライドを捨てないといけないし、やるべきことは多々ありそうだ。

よし、あなたもボクと一緒に、その邪魔なプライドを捨てたらどうだろうか?

思考の最近記事

  1. 感覚の違い

  2. 遠慮と言い訳

  3. 闇から夏の希望へ

  4. 愛情→自信→自由→挑戦→努力

  5. 生きる理由のために我を忘れられるか?

関連記事

PAGE TOP