1. 思考
  2. 14 view

文字では伝えられるのに、言葉では伝えられないボクの想いたち

言葉ってなんだろうか。意思を伝え合うものが言葉だとしたら、意図していない意味で相手に伝わったりすることはおかしいはずだ。だけど、現実では発信側の意図していない意味合いで受信側が受け取ることなど多々あるし、それが原因で話がこじれることもよくある話。

例えば、

A「明日晴れたら釣りに行きたいな」

と言った場合、相手がどう受け取るのかは相手次第だし、そもそもこの発言がどういう意図で相手に伝えたのかが明確でないから、相手に解釈を委ねてしまうことになってしまう。

もし、相手と一緒に釣りに行きたいなら、

B「明日晴れたら一緒に釣りに行きませんか?」

と言わなくてはならない。つまり、相手にどういう返事をして欲しいのかってことを明確に伝えなければ、意図は伝わらない。だから、「どうぞ行ってください」「そうですか」といったような相槌を返される可能性もあるわけだ。

このような解釈の違いが生まれてしまう理由は、先ほどのABの例の場合は、言葉の省略にある。だから、相手に伝えたい本当の意図をしっかりと伝えれば、すれ違いは起こらない。つまり、言葉は意図を明確に伝える方が理にかなっていると言える。

意図を明確に伝えることで言葉が合理的になるなら、言葉が意思を伝え合うものというのも成立するんじゃないだろうか。ようは言葉を省略をするから、おかしな方向に進むわけだ。

だけど、実際には言葉は省略して会話するものだ。そもそも、一言一句考えながら話していたら、脳がもたない。つかれるばかりで会話もスムーズにはいかない。会話はテンポよく弾むようにリレーできた方が楽しいし、面白いと感じるし、変な間が空いたりして、疲れる会話などしたくないので、さほどの思考を経ずしてでも会話が進むことを優先させる。

ところで、テンポのよい会話は、さほど思考していないと書いたけれど、本当にそうなのだろうか?

もしそうなのだとしたら、お笑い芸人の話は思い付きのような会話なのだろうか?そんな喋りが面白いわけはないだろう。あれだけの量を喋りながら、かつ面白かったり、深みがあったりするのだから、そこに思考は介在しているはずだ。

ということは、思考の速度が問題だと言える。

ボクらのような一般人は思考の速度が遅いから、会話の際にはあまり思考をせずにポンポン話している。と言いたいところだけど、実はそうではない。思考の速度が遅いはずがない。じっくり考える能力も、すばやく決断する能力も、人は持ち合わせている。ただ、その使い所がヘタなだけだろう。

脳が疲れるほどに思考を巡らせて会話させる必要はないだろうけれど、実際には脳は疲れにくい臓器だから、ガンガン考えながら、一瞬で判断した言葉で喋っても、疲労という観点からは問題はないはずだ。四六時中話すわけでもあるまいし。

頭空っぽで喋る時間も必要だが、そうすると、冒頭のように意図してない摩擦が生まれたり、失言したりする。だから、基本的に喋る時には、思考というフィルターをしっかりと使わなくてはいけない。

これは、気を使って喋るという意味ではない。

気を使うとなると、会話の質は下がる。そうではなく、思考というフィルターを通せばいいだけだ。

日常から思考というフィルターを通しながら会話していれば、その速度はどんどん増すだろう。さらに、そこに自分の感情も乗せることができれば、言葉の質も増すだろう。

と、ここまで書いたのはもちろん、ボクの自問自答なんだが、書いていて気付いたのは、やはり「感情を乗せる」ということが出来ていないってところか。

なるほど、ボクの言葉には感情が乗っていないのかも知れない。

言葉に感情が乗っていないから、言葉のチョイスも間違うことがある。感情を乗せるということは、想いを乗せるってことだから、そこには愛や優しさ、思いやりなどが含まれるはずだ。これが不得手なのだろうか。

いや、ボクの場合、文字に想いを乗せることはできるのだから、その差はやはり思考というフィルターを通していないことにあるんだろう。

文字を打ったり、書いたりするとき、ボクはそこに対象を思い浮かべる。その人に向けて文字を発信している。だから、感情も込められる。では、会話のときは違うのだろうか。。。

会話こそ相手は目の前にいるのに、、、あぁ、もしかしたら、ボクは会話のときは自分の方を向いているのかも知れない。なぜなら、そうしないと自分を守れないからだ。相手と向き合わず、自分を守ろうとするから、余計に言葉を間違える。

文字は一方通行だから、自分を守る必要もなく、素直に書けるのだろう。

ということは、ボクは会話において、たくさん痛い目にあってきた、傷ついてきたってことだ。

確かに、失敗はたくさんある。自分の発言で傷付けたことも多々ある。逆に、傷付けられたことも何度もある。そういった経験から、ボクは会話の際に心を開かないような喋り方をするようになったのかも知れない。

これは問題だ。本当の自分で会話できていないってことだから、その時のボクは嘘の自分とも言える。嘘の自分が話をしようとすれば、そりゃおかしなことになる。これ負のスパイラル。

なるほど。文字で伝えるように会話しようとするならば、相手のことをしっかりと見て話せばいい。目の前の人のことだけを見て、その人だけを想って喋れば、文字で伝えられる想いは、言葉でも伝えられるし、相手を想った言葉だけで喋ることもできる。

そういうことやったのか。。。

つまり、ボクは会話している相手のことを見ているようで、想っているようで、その実は自分を向き、心を見せないようにしていたわけだ。

もうそんなことをする必要はない。文字でしているように、言葉でも素直な自分を表現すればいい。そんなボクであっても、大切に想い、好きでいてくれる人はいる。むしろ、その方がより愛してもらえるだろう。

そうだ、言葉を閉じ込めているボクは確かにいる。嬉しさを表現できなかったり、寂しさを表現できなかったり、その場、その場の感情をちゃんと表現せずに、斜に構えるボクとはおさらばしよう。

これからは、飾ることのない本当のボクの言葉で話そう。

思考の最近記事

  1. 実像で自分を満たしながら生きよう

  2. 苦悩するとき、あなたに何ができる?

  3. ほんの僅かな変化と成長を少しずつでも繰り返す人生の先に

  4. Poma is only one.

  5. 我が世界

関連記事

有料記事が読みたいあなたへ

このブログの有料記事を読まれたいあなたは、
こちら
から有料会員登録をしていただければ、毎月パスワードが届きます。 パスワードは、月ごとに変わりますので、ご注意ください。




有料会員について

PAGE TOP