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思い出の情景から、本当の自分を見つける

京都にいた頃の光景を思い出す時、ボクの頭の中に浮かぶのは、家の横の坂道から見上げた景色だ。

疎水沿いに受けられた石垣の上の桜の樹々。雑草の生い茂る土手。その向こうの青い空。そんな光景が思い出される。

なぜかは分からないが、玄関から出て広がる砂利道の光景でもなく、いつも走り回っていた道路でもなく、家の裏の土手を思い出す。

幼い頃から、ボクはその土手で遊んでいたんだと思うけれど、定かな記憶はない。思い出せるような記憶がないのに、あの土手を思い出すってことは、何か特別な思い入れがあるんやと思う。

思い当たることは、一つ。

そこに自然が詰まっていたからだ。

春になれば、タンポポが咲き、蝶が舞う。草陰にはバッタやトカゲなどの姿も見える。毛虫やてんとう虫なんかもいたんだろう。夏になれば、桜の木では様々なセミが鳴き始める。あの土手は、ボクにとっての宝箱だった。

そう言えば、あの土手の外れで、タマムシを見つけたときは、感動した。

図鑑でしか見たことのない昆虫だった。

カマキリやカミキリムシなんかもいた。クモやアリなんかも採って遊んだな。

カマキリの卵を孵化させた日は、雨で、容器がダンボールだったから、溶けて大変だったけど、カマキリの幼虫が何十匹もワラワラと出たときも感動したもんだ。

シマヘビを見つけたときもテンションあがったなぁ。まぁ、怖かったけど。そういや、家の壁にコウモリが止まっていたこともあった。ヤモリなんかもよく見かけたのに、今の実家では見かけた記憶もないな。

一回ネズミが家の中に出たときは大騒ぎやったな。うん、生き物たちと共に生きてたって感じがする。

ボクは、生き物が好きだった。だから、自然そのものも好きなんだろう。

結婚してからは、子どもたちとカブトムシを採りに行ったり、魚を捕りに行ったり、ザリガニも採りに行った。お陰で次男坊は、ボクに似て大の虫好きだ。

今も水槽の中で、釣ってきた魚を飼うのは、その名残なのかも知れない。

ずっとずっと昔から、ボクは自然に囲まれ、自然を感じ、自然とともに生きていたんだな。

だから、今でも空の青さに感動したり、朝焼けや夕焼けに心奪われたり、山や湖や海を眺めて心落ち着いたり、流れる雲に癒やされたり、風を肌に感じることが好きなんだろう。

そう思うと、昔からボクは何も変わっていないんやと思える。自然のままに生きたいと願うことも、それを手にしようとすることも、何の違和感も覚えないのは、そういうことなんだろう。

当時から、虫取りに行けないからか、雨はいまだに好きになれないけれど、雨上がりの空にかかる虹を見つけたときの喜びは、あの頃のままだから、雨が降るのも悪くないとは思える程度には、大人になったかな〜

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