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足蹴にされたサゴシと足蹴にしたオヤジ

サゴシは、サワラ(鰆)という魚の若魚の呼び名。福井の敦賀では、ジギング、ショアジギのメインターゲットとして狙っている人が非常に多い魚でもある。見てくれは、非常に獰猛そうで、まさに肉食魚と呼ぶに相応しい。するどい牙、尖った顔。速度を追い求めたかのような流線型の体型。どれを取っても、フィッシュイーターそのもの。今回はそんな魚の生命について。

ボクがサゴシを初めて釣ったのは、2016年4月15日(金)朝5時のこと。

釣りを始めたのが、その半年前ほどで、その日まで、半年近くジグを投げまくっていたことになる。

魚を釣ることの大いなる喜びを知った日、ボクは膝が震えた。

それまでもサビキでアジなどの小物は釣っていたが、サゴシとのファイトは小物たちとは比べ物にならない。力と力の勝負だ。魚からすれば、ほんの一瞬にして、未知の力に寄って引き寄せられる状況に危機を感じることだろう。そして、彼らは本気で抗う。命をとして抵抗する。

時に逃げることに成功することもあるが、こちらも本気である。そうそう逃しはしない。こちらの命はかかっていないが、釣り糸を通して伝わる彼らの生命力に本気で向き合わないことは失礼だ。ルアーを投げた瞬間から、釣り人は魚の生命と向き合わなくては行けないのだと、ボクは感じながら釣りをしている。

3月、快適な環境での釣り

2021年3月20日。ボクは泊まりに来ていた次男坊を連れて、一緒に敦賀に行った。長男は、「いかん」の一点張りだったので、母に任せ、2人で釣行に出たというわけだ。次男坊だけを連れて行ったことに他意があったわけではないが、子どもと2人で釣りは、初めての体験だったので、もし長男が釣りに興味を持つ日が来たら、彼とも2人で釣りにでかけたいと思う。

それは、さておき、春の嵐、午後からは雨の予報だったが、人気のスポットには人がずらりと並んでいた。厳冬期を越えて、本気の釣り人以外も出張ってくる季節になったようだ。もうすぐイカも接岸する季節なので、これから週末はアングラーだらけで釣り場所に困るだろう。やはり、釣りは平日に限る。

そんな大勢の中、なんとか空いてるスペースに滑り込んだボクらは、サビキの用意しかしてなかったのだが、周りではサゴシがちらほらと釣れているではないか・・・ジグロッド持って来たらよかった・・・と思ったが、まぁ、今日は次男坊と2人で同じ釣りを楽しむことが目的なので、とにかく2人で竿を出して、サビキを楽しんでいた。

なかなか小魚もいない。サビキがいるのだからベイト(餌となる小魚)は回遊しているはず。イワシかアジかおらんのかと目を凝らしても、ベイトの姿はなかなか見当たらない。もしかしたら、深い場所なのか?と仕掛けを深く落として釣りを続ける。

と思っていたら、やはり底付近でヒット。釣り上げると、イワシのような細長い魚が・・・アジではないのかと思ったが、よくよく見ると、これは鮎だった。まさか小鮎が沖目にある堤防にまで泳いで来ているとは思わなかった。汽水域だけでなく、海水でも平気なことに驚く。鮎は淡水魚だが、適応力が半端ないのかも知れない。

その後、ガシラ(カサゴ)の小さいのも釣れたりと、アジこそ釣れなかったが、そこそこに釣りを楽しめた。

さて、本題はここからだ。

周りではサゴシがポツポツと上がっていたのだが、その中でも一人で何匹か釣り上げている猛者がいた。年の頃50代くらいの方だろうか。あれだけ釣るのだから、相当感度が高い方だと思う。サゴシがガッツリと喰い付くなら、誰でも分かるが、些細なアタリも見逃していないようだった。

だが、彼の釣り上げた後の対応は、いささか胸が痛むものだった。

足蹴にされるために生まれた生命はない

釣り上げられたサゴシは、ロッドの強度もあるからなのだが、タモ(網)でランディング(すくうこと)されることもなく、海面から一気に空中へ引き上げられ、地面へと落とされていた。フックが外されるとすぐに神経を切り、血抜きをされていたが、そのまま地面に放置。そして、次の魚を狙い出した。あのサゴシはクーラーボックスはもちろん、バケツにさえ入れてもらえないのか。魚にとっては人の体温さえ火傷する程度に熱に弱い。いくら夏ではないとは言え、地面に放置はひどい光景やと、ある意味虐待。ボクの目にはそう映った。

そして、またたく間に2匹目も釣り上げる。すると、、、2匹目のサゴシは引き上げた場所が気に入らなかったのか、バタバタと跳ねて移動することが、周りの迷惑になると思ったのかは分からないが、足蹴にされ、陸側へと追いやられていた。とっさの判断と行動なので、それが彼のすべてはないと思うが、あれは酷い。

釣りをするという行為は、遊びでしかない。遊びでしかないが、生命ある存在を相手にしているのだから、その生命に対しての尊厳も忘れてはいけないのではないだろうか。じゃあ、リリースしろよ。と思われる節もあるが、食すことも自然の摂理。生命に感謝し、自ら捌き、調理する行為は、ボクの中では尊さを感じる。

そこはきっと、かの男性も同様やと信じたい。だが、それ以前に、釣った魚はモノではない。食卓に乗ってさえ、モノではないのだ。

釣りという人間のエゴのために、生命を奪うのであれば、釣った瞬間から魚に対しての敬意を払うべきではないかと、ボクは、今回の光景を目にして痛感した。子どもにも見せたくはない扱いかただ。幸い、次男坊は魚を含めた生き物が好きなので、魚も虫も些末に扱うことはないのだが、大人が魚に足蹴はないだろう。ショッキング映像だ。

ボクは親としても、人としても、生き物としても、自分を含めたすべての生命に対して、敬意を払う接し方をすることで、今この瞬間に生きていることに感謝し、尊重できるのではないかと、そんなことを感じた一幕だった。

小鮎の唐揚げ

さて、釣り場での気付きと学びの後、帰宅したボクは、次男坊と釣ったガシラ2匹は部屋の水槽で飼うこととなり、以前釣ったメバル2匹と混泳させている。いや、メバルもガシラも泳がずジッと身を潜める根魚なので、どちらかと言えば同棲と言う方がが正しいのか。

そして、残った小鮎10匹は、天ぷらにと思ったのだが、天ぷら粉がなかったので、そのまま唐揚げにして、子どもたちと美味しくいただいた。自分で釣った魚を食すことの喜びは、味わいを何倍にも膨れ上がらせる。

この趣味を通じて、ボクは子どもたちにも生命の尊さ、有り難さを学んで欲しいと願うと同時に、ボク自身ももっとたくさんの学びを得ようと思えた釣行となった。

「釣りに行きたい」と言ってくれた次男坊に感謝する。パパは嬉しかったで。

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